2025年2月
ひとを侮る
私たちの周辺には色々な人がおります。毎日、なすべきこともせず、 ぶらぶらと遊んでばかりいる人がおりますとやはり侮りの心が動きます。そういう人を見て、「これが教科書だ…」と思えるようになるのはなかなか容易ではありません。
私は毎日多くの人に会ってお話をしていますからよく経験するのですが、どうしてこの話がわからないのであろう、どうしてこれくらいのことが理解できないのだろう、何と言えばわかるのであろうと思うことがあります。すなわち皆さんを侮っているのであります。
我の強い、意地っ張りな私は、特に青年時代には、年長者や社会的に高位高官の人徳ある人々を、随分侮辱してまいりました。自惚れておりますから、その人々の言葉が心に染み込まない。己は正しい、みんな間違っている、こう思い込んでいる。その上社会の裏面に目を向けて、何もかもなっておらんと憤慨し、心底から侮ってきたことでございます。
その償いをどうすればよいか、結局人を侮辱し、侮ってきた慢心の補いはやはり自分が無実の罪を着せられて通らねばならぬことになるのであります。これは侮りのお返しであります。良い言葉を返されるのも悪い言葉を返されるのも全て返されるのであります。これが過去の補いであります。
(出居清太郎著『誠書』第1巻より)