会員の思いと行い

目に見えないところに偉大な徳も力も愛もある

私の祖母は昭和35、36年頃、教祖に初めてお会いできた日、教祖が捧誠会のご本部の玄関で待っていてくださったと聞いています。一語一句正確ではないかもしれませんが、教祖は「よく来たね。あなたを待っていましたよ。今まで食べるものも食べず、着るものも着ず、よくここまで辛抱してきたね。寒い冬ばかりではないよ。トンネルを抜ければ明るくなるだろう。春はやってくるよ。これからは私についていらっしゃい。」とおっしゃったそうです。そして、祖母の隣にいた私の母を見て、「隣にいるのは娘さんかね。いい娘さんだね。これからはお母さんにお小遣いをあげなさい。」と母もお言葉をいただいたそうです。

祖母は6人の子どものうち、2人も不自由な身体の子どもを育て、1人は20歳で他界、もう1人が叔母の〇子でした。祖母は、何も言わなくとも教祖がすべてわかって下さっていたと感激し、涙が溢れて止まらなかったと教えてくれました。 不自由な身体だった叔母もお医者様からは、20歳までの命…と言われていたようですが、教祖に命を繋いでいただき、47歳まで生きることができました。 叔母が初めて教祖にお会いできた日、教祖は車椅子の叔母のところまで近づいて来てくださり、「ご苦労さま」とおっしゃった後、叔母の身体に手を当て御霊光を送ってくださったそうです。その時のことを「身体がものすごく熱くなり、鎖がジャラジャラジャラジャラと音を立ててはずれていくようだった。」と叔母は語っています。それからは、それまでまったくできなかったお辞儀ができるようになったそうです。 その叔母は、病院の病室のベッドの上で、入院中もずっと胸につけていた捧誠会の記章に手を当てて、「教祖様ありがとうございました。私は不自由な身体でしたが幸せでした。」と言葉を残し、天に召されました。

肉体をお返しするまで万霊万物に感謝し、決して不平不満を言わない叔母でした。なぜ不平不満の心が湧かないのか?と問うと、「神様はこの世に私を送り出す時、不自由な身体になるとわかっていて辛いお気持ちで私を送り出さなければならなかったに違いない。その神様のお心を思ったら私は決して不平不満は言えない…」と答えました。 「肉体の支配権は心にあり、心の支配権はいのちの親にある。心によって肉体は動くが、その心を動かすものは、いのちの親である。このことわりがわかれば世の中に不平不満はなくなる。」(教祖ご訓話)

私の父は、若い頃から身体が弱く、母と結婚後すぐにネフローゼと診断され、入退院を繰り返し、お医者様からもう助からないと言われていたそうです。母は父の看病をしながら、個人で塾や幼児教室を開くなどして働き続け、私が生まれるまでの10年間は苦労の連続だったようです。 ある日、母がご本部へお参りに行くと、教祖は、「あなたのご主人はこれから海外で活躍する人だよ。」と。またある日は、「あなたたちに、もうすぐ子どもが生まれてご主人は元気になるよ。」とおっしゃったそうです。 その時のことを母は、夫はもうない命と医者から言われているのに、海外で活躍するわけがない。教祖も間違えることがあるのだなーと思ったと私に教えてくれました。すでにその時、お腹の中には私がいたのですが、父を看病しながら夢中で働いていたため、母はまったく気づいていなかったそうです。結婚10年目で子どもを授かり、父は嬉しくて、みるみるうちに元気になり、奇跡的に助かり、お医者様もビックリされたと聞いています。 母は出産後、私を抱いてご本部へお礼参りに行くと、教祖は「あなたの出産時に、私はフラフラになったよ。」とおっしゃったそうです。教祖が私の命を救ってくださったのだと知りました。 それまで身体の弱かった父は、退院後、親族の経営する会社(アニメの映像機器製作)に入社させていただきました。そして大学の英文科を卒業していたという学歴だけで、海外事業部に配属されました。 それから父は英語を猛勉強し、通訳、翻訳の仕事もできるまでとなり、毎月のように海外へ行き、貿易の仕事をするようになって、そうなったときに初めて、母はやっと思い出したのだそうです。あっ、あの時、教祖が、ご主人はこれから海外で活躍する人だよとおっしゃったと…。やはり教祖のお言葉に一つも間違いはないのだ。教祖はすべてご存知なのだと分かったと教えてくれました。 「人の肉体には限りがあります。なれども魂は永遠のものでありまして、無限の力を持ち、愛を持ち、徳の現れであることを自覚せねばなりません。目に見えたことのみに心は奪われやすいが、目に見えないところに偉大な徳も力も愛もあることを悟らねばなりません。」(教祖ご訓話)

(M女 会員の手記を基に一部編集したものです。)