12月9日
努力でも我欲の為になす業(わざ)は幸にもならず行き詰まるなり
如何(いか)なる人も神の子として産ませ給うた人であるのに、人の段階に高い低いがありまして、限りがありません。神の子であるならば悩み苦しみを救い下さるのが当然でないかと嘆(なげ)く人もありますが、それはその通りであります。然(しか)し自己の魂も磨かず、神の意思にも添わず、神の示されるみ教えも信じ行わず、己れの足らない処を改めもせずに、救って戴きたい、こうもして戴きたいああもして戴きたいと、戴きたいことだけを要求するのは自己主義であり、それは許されないことであります。早く改め反省し、実行する忠実な人が救われていることは事実であります。親が子を苦しめ、不幸にする筈(はず)は無く、親に逆(さか)らい敬(うやま)わず、気儘な行動をする故に不幸になるのであります。