11月3日
山びこや我に無き理は示されず我にあるから教え給えり
森羅万象ことごとく人格を作る為の教科書と教えられて居ります。万物の動きを見聞し、自己の我を通して怒り、侮(あなど)り、妬(ねた)み等の心を持ちますと、それが万物に通います。蒔いた種は善きに悪しきに芽生えてまいりますが、蒔かぬ種の生える筈(はず)はありません。悩み苦しむこと程辛(つら)いことはありません。なれども悩み苦しみの種の蒔いてあることを知らない為に、一層の迷いが重なって来るのであります。縁あってつながる人と、其の人が過去に蒔いた種の芽生えとして教科書になる為に一時つながる人とあります。縁のある人は恩に酬(むく)いられることになりますが、教科書になる人は其の場だけで終わることもあります。人だけでなく鳥畜類もその通りであります。