11月2日
神参り祖先の美徳祭りしは己(おの)が心を磨く為なり
神仏を信じ敬(うやま)うということは、無限の慈愛に浴して活かされていることを心から認識することであって、神仏に奉仕することは理の当然であります。人は人によって導かれ、教えられ、世話になり、それを知ってい乍(なが)ら酬(むく)いることを怠るので、人から嫌(きら)われるのであります。世の中は恩の送り合いで、差し上げたり戴いたりであります。物の交流や肉体の交流をする場合には、己れの意を用いず真心からせねばならないのにそれをせず、ただ神仏に手を合わせ願をかけるような心持ちは許されません。敬う為の神仏であり、神仏の恩恵と慈愛に酬(むく)いる為の奉仕であるにも拘らず、自分の足らない所を改めず反省もせず、なすべき実行もせず、幸福を求める心は許されません。神仏のみ心に叶う様に実行することにより幸福は生まれるのであります。