3月26日
常日頃己(おの)が心を清めつつ誠の業(わざ)に親しみをもつ
身を清め、心を清めるということは、言い易くて行い難く、衣の塵(ちり)は払っても心の塵は目に見えませんから、どうして払おうかと心にかけることも致しません。眼は美しく、丸く清らかで、目先のことは見えます。心で見ること、即ち感じ悟ることは心眼(しんがん)でありますから、心に塵や埃(ほこり)がつもって汚れて終(しま)えば、見ても聞いても、真実も迷いの種となり、正しいことも悪く考えられます。心を磨くということが如何(いか)に尊いことでありましようか。美しい心、即ち感謝の心で努力をすれば、自他共にいかに嬉しいことでありましようか。不愉快な気持で言葉を出したり、肉体を動かしたり、物を差上げたり、戴いたりすること等は利益にはなりません。何事をなすにも誠を捧げ合い、親しみを持って交流しなければなりません。