3月9日
一言の言葉の中にみ光が目には見えねど輝いている
一言の言葉の中に尊いみ光のあることを悟るまでには、長年の修養を積まねばならないのであります。言葉は音、恩であり、熱であり、光であり、誠であり、神であります。音は耳で聞かれますが、いきかよう息は風のようなもので、肉眼では見えません。音、即ち、言葉の無い時は、知恵も尊い肉体も、何のお役にも立ちません。人は形のみに心奪われ、目に見えない大きな力は、科学的に研究し、形付(かたちづ)けられてから信じる人が多い。目に見えず、体験もせず、言葉や文字だけで、悟り得ることは容易でありません。気学による方位、方角、或は自然の法則を、学問により、又は宇宙の真理を知識によって、利用する人は数多いのであります。神人(しんじん)霊交(れいこう)に由って、万物の活かされることを信じることこそ、生き活かされる尊い根元(こんげん)であります。