3月7日
四方山(よもやま)の話を語るその時は己(おの)が心を改めるなり
言葉は神なり。言(こと)の和(わ)であります。言葉の無い時は音(温)はなく、体温がありませんから活動致しません。言葉の出し入れ、使い方は心の自由でありますから、どう使っても、多く言葉を出しても少なく出しても、法律によって善悪を決定することは出来ません。なれども言葉の出し入れ、使い方を誤れば、神から戴いた尊い魂を傷付け濁し、又人の心も汚して、相互いに迷い苦しむことになり、肉体も亡び、国家も破壊されるのであります。これ程言葉の出し方、使い方が重大な事柄であることを自覚せず、認識不足であることを万人は深く悟らねばなりません。現世には知者あり、学者あり、科学の進歩は最高潮に達して居りますが、魂の動き、言葉の使い方、心の持ち方を深く修得する人が少い。一層この点を万人に伝える次第であります。