箱根ご足跡碑
- (建立)
- 一九六二年(昭和三七年)一二月五日
- (所在地)
- 神奈川県 箱根町宮ノ下 熊野神社境内
- (碑文字)
- 出居清太郎先生 御足跡記念碑 大正十二年十月吉日
- (揮毫者)
- 亀井清堂
- (碑裏面)
-
教祖出居清太郎先生御作
困難と父母の姿を胸に抱き
転々として山路さまよう
大正十二年吉日
文化は進み世の中は
変れば変りこの里も
道なき処に道がつき
山の中にも家が建つ
三十七年いかされて
再びここに足とめて
過去の姿を思うとき
涙あふれてとめどなし
草の青さも水の色も
昔に変らぬやさしさで
我を迎えて只無言
思いは深し感無量
昭和三十五年十月吉日
足跡碑建設由来
総裁出居清太郎先生は明治三十二年十二月三日栃木県佐野市高萩の農家に尊父は幸八 母堂こまの三男として生誕された 先生二十四才関東大震災に遭遇しその惨状をつぶさに目撃されこの震災こそ人類に対する神の警告であると尊信し困難を憂い人心教化につくさんとして神理研究会を主宰し且母堂の訓戒にもとづく済生利民の大使命を感ぜられて更に道を修め魂をみがかんと西京に向い山野に起臥し一大修行の途に就かれたのであった かくして同年十月某日箱根の深山に達し疲労困憊の極霊夢の如くその使命の重きを痛感し更生して宿願を達せんものとこの霊気の中に断食して宇宙に帰することを決意し一心に想をねり神に祈られること数日の後宇宙の大極と渾然一体となり 日の本は神の国汝日本の国民の模範となれ との神命霊山に響くを覚ゆ かくて此処に先生は教祖として再生の霊験を感得されたのであった爾来終始一貫世界平和顕現を目標として修養団捧誠会を創設されその総裁となられたのである先生は常に天地の法理をとかれ誠は天の道これを行うは人の道なりと提唱されこれを実生活に指導してこられた その間第二次世界大戦を予言され不敬罪並に治安維持法違反に問われ幾度か投獄等迫害をしのばれ困難に打克ったのであった。歳うつり星変ること三十七星霜昭和三十五年十月吉日教祖先導のもとに会員有志数百名は親しくこの地を訪れ先生と共に一心に神明に祈念し過ぎし日のその艱苦の情を偲び会員一同感涙にむせびわが教祖を降誕された天地神明の深き慈恵に感謝の合掌を捧げたのであった今ここにこれを記念し会員一同を代表してこの霊地に記念碑を建設し之を永く後世に伝えんとするものである
昭和三十七年十二月吉日
修養団捧誠会小田原支部長
土屋保太郎
外有志一同
謹建之
清堂亀井安之助拝書
神石・和石
名称 | 碑文 | 所在地 | 除幕日 |
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箱根ご足跡碑 | 御足跡記念碑 | 神奈川県箱根宮ノ下 熊野神社境内 | 1962/12/05 |