亜細亜開発和石
- (建立)
- 一九七一年(昭和四六年)三月二五日
- (所在地)
- 高知市 兼山神社境内
- (揮毫者)
- 溝渕増巳
- (副碑)
-
亜細亜開発建碑の趣意
野中兼山先生は私たちが開発精神の理想像として推重する偉人である。開発こそ人類の平和と発展を約束するものだと信じている私たちは、亜細亜が低開発地帯なるが故に現代を苦悶していることを知って、亜細亜開発を現代当面の使命とするものであるが、そのためには精神面と物質面と調和されねばならない。この両面を完備した理想像として私たちは土佐藩の名執政野中兼山先生を敬慕するものである。先生は稀代の卓越した政治感覚と土木技術を高度に発揮して山林、原野、河海の開発に努め殖産興業に挺身して永遠の恵沢を残したのみならず、南学を育成して思想の健全化を図り、土佐藩発展の基礎を確立した。執政の座に在ること殆ど三十年、誠実一路、土佐藩発展にその生涯を賭けた偉人である。私は青年時代、先生の伝記を熟読してその偉大なる精神と不滅の業績に感激措かず、後年、修養団捧誠会を主宰するに及んで、先生の至誠一貫を追及する情益々切実なるものがあった。現代の世界情勢に鑑み、捧誠会が世界平和の前提として亜細亜開発を当面の使命とするに当たって私は新たに兼山先生を想う。先生の開発精神は今や過去の土佐だけのものではなく、現代に生きて亜細亜の天地に躍動すべきではないか。私たちは先生の精神を受けて世界の平和と人類の幸福を目指し新活動に従事することを記念するため、同志協力して特に先生を祀るゆかりの地を選んで碑を建て、先生の威徳を顕彰すると共に、至誠を捧げて理想の具現を誓うものである。 昭和四十六年三月二十五日
修養団捧誠会
総裁 出居清太郎識
神石・和石
名称 | 碑文 | 所在地 | 除幕日 |
---|---|---|---|
亜細亜開発和石 | 亜細亜開発 | 高知市五台山 兼山神社境内 | 1971/03/25 |