今月の言葉

2020年7月

神のみたまはどこにある、見たい見たいと思うなら
おのが心の中を見よ

昭和24年4月22日の午後、兵庫県竜野市にある聚遠亭に休息してから、公園の坂道を少し下って帯鐘庵と呼ばれるささやかな亭に足をとどめた。
あたりには残桜が春の名残をとどめており、白い花が、折からの夕もやの中に、なおほのぼのと浮き上がっていた。晩春の山の静かなひと時であった。

昭和24年、国民はやっと戦後の混乱期を抜け出ようとしておった頃である。しかし“自由主義”の旋風が吹き巻いて、安逸と歓楽とが氾濫し、それがひところの生活のための混沌に置き換えられようとしておった。世の人々には神も仏もなかった。明治神宮も戦災に遭ったではないか、その他大小無数の神社も寺院も教会も焼けたではないか、神も仏も爆弾の前にはひとたまりもあったものではない。その実際をこの目で見てきているのだと考えられていたようである。

神や仏を、こうして唯物的にみて否定していこうとする世の風潮に対して、天のひびきが伝わってきた。

神のみたまはどこにある 目には見えねどあるぞかし
見たい見たいと思うなら おのが心の中を見よ

魂を磨きて悟るなら  神のみたまは清らかに
光り輝き目に映る  ここに尊き神ぞある

神や仏と祈れども  心乱れて迷うなら
悟りもできず苦しみて  知らずに暮らす人もある

神の子として生かされる  われら人たち行えば
無限の宝授かりて  いつも和楽で生きのびる

広い世界に生かされて  悩み苦しむ人あるは
誠の道を知りながら  行いできぬ人なるや

(出居清太郎著『敬霊気』第2巻)