今月の言葉

2017年11月

子供が寝ているのではなく、神が寝かせてくださっている

種を蒔いてあっても、時期が来なければ芽も出ないし花も咲かない。また時期が来ても、種を蒔いていなければ芽生えもなく、花も咲かない。
人の悩みや苦しみにも、解決する時期がある。その時期に解決の喜びを味わうためには種がなければなるまい。「真捧(しんぼう)しなさい」というのはそこである。「真捧」せず、不平不満ばかりに明け暮れておっては、時期が来ても芽生えない。喜びの実りを見られない。誠を捧げての終始一貫に花咲き実る天の与えがある。

「しんぼう(真捧)」と「がまん」とは似て非なるものである。
「しんぼう(真捧)」とは、文字に表されている通り、いかなる環境にあってもまことを捧げて通ることである。そこには感謝と喜びだけがある。「がまん」にはそれがない。たとえていえば「がまん」は握りこぶしのようなものである。我執のこりかたまりである。「しんぼう(真捧)」は、その反対に5本の指を広げた手である。ジャンケンでも石は風呂敷に負ける。「がまん」には花は咲かない。開け広げた手は平和の姿である。

(出居清太郎著『捧誠読本』3)