今月の言葉

2020年4月

花を咲かせた元を知らねば

25年前の昭和13年4月のある日、その日も花見の宴に浮かれている人々を眺めながら、
――この人たち、花に心を奪われているが、果たして花を咲かせる根に心を寄せているであろうか、人は美しい姿と形に惑う。心を奪われ迷う。それは目に見えない徳と力と愛とを知らぬが故である。世には宗教も多い。しかしその教団そのものが現実にやっていることは、金と名誉と形にとらわれているだけではあるまいか。教団の指導者たちは、ただ権力と殿堂の威容とに憧れ、経典をなおざりにし、信徒たちを踏み台にしている。私は決してこのような道を歩まない。
と固く心に誓った。そして25年、この信条の下に歩み続けてきた。

25年前も今日も、人は依然として形而下の偉容に憧れ、それをそうあらしめる根に心を寄せようとはしない。これは一般世人ばかりではなく、宗教家をもって任ずる人たちも金と力とに酔うているのではないか。「もたいなや祖師は紙子の五十年」と言いながら、行い伴わないのが現実の姿である。

――たとえ教団の大を誇らなくともよい。一人一人の心の目を開かせ、一人一人の心の中に神の心を移していこう。
とする私の決意と行動には微塵の揺らぎもなかった。その日、桜の花の下に佇んで、私は改めて確認した。

――先生、会館を立て替えましょう。
――先生、組織をこうしましょう。
――古くて汚くて格好が悪い。今時こんな建物に入っている教団はありません。
会員の中から、こういう声が上がっていた。幾度となくその要望を聞いていた。しかし、何と言われても私の気持ちは動かなかった。
――形に憧れるな。根を培え、根を張れ。形はいつでもできる。
と主張し続けた。

花は年々に咲く。咲いて人に見せる。風雪に耐えて花は咲く。ただ咲いて人に見せるだけのものではあるまい。目に見えぬ根の働き、根に込められている徳と力と愛とを見よと、年々に人々に訴えているのではないか。10年経っても、20年経っても、まだそれが分からない。さりとて、分からなければ今年は咲くまいとも言わぬ。天地自然の親心は綿々として尽きない。私はただ、この無限の徳と力と愛を認識させ、人の心の奥底に染み込ませたい―それだけが念願であった。

(出居清太郎著『敬霊気』第2巻)