今月の言葉

2017年8月

人を見て法を説く

「人を見て法を説け」と言われる。私はいつもその人の心をみて法を説いている。だからたとえば「大恩に報いる」ということについても、Aさんに説く場合とBさんに説く場合とはちがっている。それは人々の心がちがっているからである。

子供が道にたおれている。その場合でも、とんでいって起こしてあげるときと、じっと見ているだけで起こしてあげないときがある。かけつけて起こしてあげると「親切な人だ」と人は言い、じっと見ていると「なんと薄情な人だろう」と言う。起こしてあげるのは、「まだ幼稚園程度だから起こしてやれ」といういのちの親からの実行によることであり、起こしてあげないのは、「怠け者だからほっておけ」といういのちの親からの実行による。

会員の皆さんに挨拶するし方もいろいろある。ある人には手をとってあげて言葉をかける。ある人には軽く頭を下げる。またある人には手を上げるだけで言葉もかけない。その人々の機根に応じて心いっぱいの挨拶をしているのであるが、私の心がわからない人は、あの人には親切で私には薄情だと受け取ることであろう。

ある日、AさんとBさんとが同席していた。二人とも私にお金を借りにきたのである。Aさんには即座に願い通り3万円貸してあげたが、Bさんには「いくらあってもあなたには貸せません」と言って断った。二人の心を診察すると、おのずからこうなってくるのである。

(出居清太郎著『捧誠読本』6)