今月の言葉

2025年10月

家族を路頭に迷わせるような親でも尊敬し、愛する

親が、酒飲みで勝負事が好きで、生活の上においてはいつも家族に負担をかけ、路頭に迷わせるようなお父さんでありお母さんであっても、その親があったからこそこの世に現れてきた、すなわち生まれてきたのであります。
たとえ今はどのような親であっても、本心に立ち返った時には、自分の子供が死ねばいいとか、苦しめばいいなどと思ったり、言ったりすることはさらさらないはずであります。
それが過去のいろいろな因果の理法から、酒を飲み、勝負事が好きで、経済的にも物の面においても、あちらこちらに迷惑をかけ、まことに醜い姿をする。
しかしながらそのような親といえども、家族の者が協力して、その親を心から尊敬する、 愛する、その心を忘れてはなりません。ところがその心なくして、ただ否定する子供が多い。 また親も、そういう行いは人の道に外れており、悪いことだということは承知しておりながら、意地っ張りのためにどうすることもできないでそういうような行動をする親もたくさん見受けられます。
しかし本心に立ち返った時は、親は親として、また子は子としてその道を学び修めなければならぬ。遡っていきますと「いのちの親(神)」があってこそ万物が生長していかれるのでありますから、神を敬うという心を忘れてはならぬ。 神を敬うという心こそ一番きれいな、尊い、美しい心なのであります。

(出居清太郎著『誠書』第3巻より)