会員の思いと行い

亡き母に感謝し、その心を子孫につなぐ

母が亡くなってはや四十九日が過ぎました。あの世への旅立ちも迷うことなく逝ったことと思っています。母の遺書を読みましたが、「我が人生には悔いなし」です。
本当に孫から、ひ孫、子供たち兄弟、捧誠会の仲間たち、すべてから見送られ、見事な最期でした。 
日頃から言っていましたように、畳の上で死ねて、あまり人にも迷惑をかけずに、注射の管につながれることもなく、予定していたように逝きました。
先日、満中陰のご挨拶に近所を回らせていただきましたが、ある人から、母の小学校の同窓会「大寿会」の文集『わが青春』という、母が二十歳の頃の思い出を書いた文集を手渡されました。そういえばずっと以前に目にしたことのある文集でしたが、母の投稿文の題名は「与えられた命」でした。

文章の書き出しには、時計の針が12時も廻った静かな夜、机に向かってペンを取り、じっと目をつむっていると、タイムトンネルの中に入っていくように、生後1か月の長男を腕にしっかりと抱いて、白い雪が降り積もり、50センチもの氷柱(つらら)が軒先に下がっている、寒い立川の駅に降り立った日のことが、昨日のことのように浮かんでくる。昭和19年の2月であった、と書かれてありました。
二十歳そこそこで結婚し、父が東京立川航空部隊の衛生部に勤務する軍人であったので、出産のために実家に帰っていたのですが、父が迎えに来たので親子三人で立川へ戻ったのでした。

出発の時の駅の構内は出征軍人の見送りでごった返していて、混雑のため予定の列車に乗り遅れて、次の汽車になったのですが、はじめに乗るつもりであった汽車はアメリカの艦載機の攻撃に遭い、乗客が何人か死んだということでありました。
立川には飛行場があるので、毎日1回、2回と言わず戦争が激しくなってくると艦載機の波状攻撃があり、家の前庭に横穴式に掘った防空壕の中へ、綿入れの丹前(たんぜん)に子供を包み、ミルクをもっては逃げ込み、急降下してきた飛行機の爆音とともに機関銃の弾がバリバリと音を立てていくのに、身をすくめる毎日でした。
そうした日々のなか、豊橋の落下傘延進練習部隊に転勤になり、父は一人で先に赴任していたのですが、子供を連れて後から行くために母が荷造りをしていたら、空襲警報の出ている暗闇の中、突然父が帰ってきて「僕だ」と戸を叩いた時は足元を見るほどびっくりしたとのこと。夜が明けると立川駅に荷物を運びこんで、約束の日より一週間も早く、軍人ということで無理を通してくれて豊橋へ出発しました。
その翌日に私たちの住んでいた家に焼夷弾が直撃しました。父は胸騒ぎがして、虫の知らせで休みをもらって迎えに来てくれたとのことでしたが、まさに危機一髪でした。
その後、部隊が木曽の山奥へ移動したので、山奥で生活していたのですが、20年の7月に入って、父が赤痢のような状態になりました。母は父の病気には心を痛めたようですが、快方に向かってきた8月15日に終戦の報を聞くことになりました。

このような本当に生かされているというか、与えられた命によって、命を長らえ、戦後は、病弱な父を支えて、私の知る限り気丈な女主として、家業の薬局を切り盛りして、私をはじめ妹と弟を立派に育て上げ、今はそれぞれ家庭を持って幸せに暮らしていますが、私が薬剤師になって国家試験に合格した時には「ヤレヤレ、本当にこれで私の仕事も終わった」と言って大安心したということを言っていました。

嫁いだ家が何代も続いた旧家の薬局であったので、難しく厳しい舅や姑に必死で仕え、小姑である夫の姉も病気で同居していた時期もあり、身体の弱い一人息子のわがままな夫にも仕えて、本当に苦しい状態でしたが、時期を得て修養団捧誠会の教祖出居清太郎先生とご縁をいただき、教祖に励まされ、捧誠会の教義をしっかりと修めて、日々の生活に追われて人の道のことで終始するのみでなく、生きて生かされる神様へのご恩に報いるために、神の道の無条件な実行にも励み、本当に周りの者の手本となって充実した人生を送りました。

私は子供の頃から捧誠会のみおしえに触れさせていただいたおかげで、亡き母と共にこの世に生を享(う)けた人間として、共によりよく意味のある充実した人生を送るための勉強をする機会をいただきました。今は修養団捧誠会の支部長としてのお役目をいただいて、毎日を真剣に歩んでいます。母が還暦の時、私は手作りの「表彰状」を贈らせてもらいましたが、今はまた遺影に向かって感謝と表彰の祈りを捧げています。
そして、母が苦労して守ってくれたこの命が尽きるまで、今度は私自身が、家族の心が一つになってまとまり、一致協力団結して生きがいのある幸せをいただくことができるようになるため、日々率先して不平を思わず不満を言わず、己を虚(むな)しくして徳を積み徳を及ぼしていけるように、生かされていきたいと考えています。

(M男 会員の手記をもとに編集したものです。)