会員の声

猫とつきあっている中で気づいたこと

「猫ブーム」などと言われている昨今だが、わが家にも1匹のメス猫がいる。推定16歳、人間でいえば80歳だ。もともと私は猫好きでも何でもなかった。だが夫の実家が空き家になるので残された猫をどうするかという話が持ち上がった時、なぜか私は「じゃ、連れてきちゃえば?」と言った。私の気が変わらぬうちにと思ったのであろうか、猫好きの夫は早速ミーを車に乗せてわが家へ連れてきた。3年ほど前のことだ。

さて、実際に本物の猫を目の前にしてみて、私はまず意思疎通に戸惑ってしまった。カーテンに爪をひっかけてバタバタしているのを救助しようと手を出せば、すかさず猫パンチ。前の日窓際で気持ちよさそうに日光浴をしていた様子を思い出し、カーテンを全開にしたところ、まったく関心を示さない。こちらが良かれと思って行うことがことごとく裏目に出る。 だが、慣れてくると何となく距離感がつかめるようになった。「つかず離れず」といったところか。お互い視界には入っているものの、余計な干渉はしない間柄だ。ふと、自分の子育ては相変わらず干渉だらけだなあと反省させられたりする。

ミーと接しているうちに気づいたのが言葉のかけ方だ。「おはようミー、ごはんおいしいね」などなど、別にミーから返事をもらおうと思って言葉をかけているのではない。ミーに言葉をかけるという行為を通して、私自身がその言葉を全身に響かせ味わっているのだろう。言い換えれば相手からの見返りを求めず素直に言葉を発する、という純粋な気持ちを味わわせてもらっているのだ。 かつて5匹の子猫を生んだものの1匹はカラスに食べられ、3匹は里子に出され、残る1匹は車にひかれてしまい、独り身となってしまったミー。それでも今しっかりと生きている。そんなミーだからこそ私のかける言葉は一層やさしくなっているのだろう。

教祖のお言葉に「何事も学ぶがための教科書と悟り、合わせ鏡と信じ、己の足らざるところを見直し改めていくことが、感謝を生み出していくことであります。」とある。 日常生活の至る所にまだまだたくさん学ぶべきことがありますよ、という教祖の広く温かい励ましのお気持ちがしみじみと感じられる。

(S女)