会員の声

世間を知って父への不平不満を反省

この4月に私は総合病院の炊飯部門へ転職しました。給食の現場で働かせていただくのは二十年ぶりのこと。頭も体も仕事を覚えることや早朝勤務に慣れることに精いっぱいの毎日です。 「お米を扱う仕事に転職する」と、ある会員の方にお伝えしたところ、「米の味」という教祖様のお言葉を教えていただきました。

「米の味が変わらぬように、誠の業を励んでいく生活を終始一貫貫いていく。これが一生懸命です。もう嫌になった、飽きた、というようでは一生懸命とは申せません」

このお言葉を教えていただいた時、このお言葉に恥じることなく努力しようと思いました。

患者様の口に入る薬ともなる尊いお米。決して雑念を持って働いてはならないと強く自分に言い聞かせました。しかし、毎日忙しく、頭も体も仕事に追いついていかない私はいつもきりきり舞しています。 職場には80名近くの老若男女が、洗浄、配膳、下処理、調理、炊飯と五つの部門に分かれて働いています。二十代から七十代まで、さまざまな考えを持つ方々に接していると、私は生まれて初めて世間というものを意識するようになりました。そしてようやく、あれほど父に対して持っていた不平不満がすべて自分の我がままであったということと、父の私を心配する気持ちが現実の私の姿であったということに気づかせていただきました。 世の中は本当に甘くありません。今まで当たり前のように両親に守られているということに気がつかないで不平不満を言っていた私は子供でした。家族からの苦言は愛情から出た言葉だと気づかせていただいて、今の職場に働かせていただくご縁は神様からの思し召しであったのだなと思います。

教祖様は、 「心を磨く機会と砥石(といし)とは、日常生活の、その中にある。そのために私は深山(しんざん)幽谷(ゆうこく)にこもったり、滝に打たれたりはしない。それも修行の道であろうが、それだけが修行の道ではない。この社会にいて、いろいろな人の間にもまれて、そこでこそ血の通うた心の練磨ができると確信する」とおっしゃっています。

いただく環境が変わったから心が変わったのか、この心境の変化に戸惑(とまど)いながら生活をしています。帰宅するとバタンキューの毎日ですが、仕事をさせていただく喜びに満ちています。焦りや不安はあるけれど、できなかったことができるようになるということが、これほど楽しいこととは知りませんでした。いつか全行程を一人でできるようになる日まで、お米の神様に感謝しながら励んでいきたいと思います。

(H女)